たぶん日記。

へたくそなりにがんばって書いてます。

10代最後の夏休み。

夏はもう終わってしまった。

山形はもう秋を迎えている。

10代最後の夏休みが終わろうとしてる。

集中講義があったからなんとなくもう夏休み気分は抜けつつあるけれど。

 

この夏はたくさんいろんなことがあった。

暑くて苦しくて辛くて悲しくて楽しくて、

いっぱい泣いていっぱい笑った濃い夏だった。

 

 

楽しみだったO.Cのスタッフ。

高校生と話をすることは意外に体力を使うこと。

自分の学科について説明することを自分の言葉で説明するのはとても難しかった。

学科を目指しているという高校生達がとても目をキラキラしていた。嬉しかった。

 

高校生とたくさん関わりたいと思って意気込んだサマキャン。

やろうと思っていた表方ではなく、裏方を任された。

あんなに裏方が大変だなんて思ってなかった。

思いを形にする難しさを知った。協働の大切さを知った。

タイピングの速さがえぐいほど上がった。

頑張ったものが一瞬にして0に崩された時の憤りと悲しさは忘れもしない。

そのあとの半ばヤケクソで半泣きで花笠を踊ったあの1時間は

せめてもの休息だったように思えてしまう。

そのあとの緊急MTGも今思えばいい思い出。

逆にあの瞬間結束力が上がったかも。なんて言えるのも今だからだけど。

結局約8徹夜をした。

寝る暇はなくて、ご飯を作ったり食べる時間さえ惜しくて、

お菓子がご飯代わりの日も終盤はあった。

お菓子をただ胃を満たすためのものとして食べたのは生まれて初めてだった。

「死なないから大丈夫。」「まだ頑張れるよね?」

毎朝ドア前の鏡の前で暗示をかけた。

自分の考えの浅はかさや力不足の結果が当日いろんな形で目に見えた。

自分に腹が立ってやるせなくて悔しくて、

料理を運びながら泣いていた。

頭痛がして、3階から1階までの移動で足は痺れ、手も震え、

なぜだか口の中も痺れ、食事は味がしなくなっていた。

そのせいで口も回らなくなっていた。うまく喋れなかった。

でも泣いている場合でも立ち止まっている暇も、休んでいる暇もなくて、

考えながら走りながら泣いてた。苦しかった。

「美味しかったです!」たったその一言があんなにも心に響くなんて驚いた。

 

南陽があんなに素敵な場所だって知らなかった。

考えや思いを引き出すことの難しさと、

先輩方と私の力量の違いを見せつけられた2泊3日だった。

「なんでコミュニティデザイン学科を選んだの?」

「学科は楽しいですか?」

「それって辛くないんですか?」

O.Cではなぜか(?)あんまり聞かれなかった質問。

自分が高校生に聞かれる立場になった現実にちょっとだけびっくりした。

「なんで参加しようと思ったの?」

「なんでそんなに頑張るの?」

帰り際先生に質問された。

その時答えたはいいけれど、ここから全くわからなくなってしまったんだなぁ。

 

生まれて初めて2週間と少し山形から離れた。

初めてあんなに電車を乗り継いだし、ゲストハウスに初めて泊まって、

あんなに不安で心配で仕方がなかったのに、

泣きべそかきながら旅の準備をしていたのに、

山形に無事帰ってこれたし、今はまた訪れた場所に行きたくてたまらない。

 

大人にやっぱり質問攻めされたSCH。

頑張って答えるので精一杯。大人とたくさん話せるからSCHは楽しいけれど、

品定めされている気分にもなるからSCHは緊張する。

芸工大のSCHとは違い運営じゃない立場で関わることに戸惑ってしまった。

仕事を見つけては動いたけれど、多分もっとやれることはあった。

 

海に8年ぶりに触れた。震災の時から怖くなってしまった海はもう怖くなかった。

とても穏やかで綺麗だった。

初めてクラゲを触った。

お魚はとっても美味しかった。

夜真っ暗な中、山沿いの道路を車で走っている中、

イノシシが出てきたらどうしようねと言っていたけど、

結局イノシシには出会えなかったな。

島に吹いてくる海風はとても気持ちよかった。

自分にとって歩くことは苦ではないということがわかったのもここ。

広島は素敵なお店がたくさんあったな。あと広島電鉄のデザインが好き。

広島弁ってなんであんなにホッとするんだろうね。

島で流れる時間は山形よりも長いように感じたのはなんでだろう。

 

ひたすら手を動かしてた事例研修。

珈琲が美味しかった。素敵な喫茶店がいっぱい。

みんなと一緒にラーメン食べたり、お風呂に入って楽しかったな。

同期のみんなと一緒は心強かったし、朝起きて誰かがいて、

「おはよう。」って言ってくれることが嬉しいなんて思ってなかった。

疲れがここら辺から出て、貧血と軽い熱中症で倒れてしまった。

「頑張るということをたまにはやめたら?」

「自分の限界値をちゃんと知った方がいいよ。」

「無理をするのが大前提なのはおかしいと思うよ?」

少し厳しめな言葉でみんなに言われた。反省しました。

 

尼崎で1週間。

高校の時から行きたかった場所にこんなに早く行けるなんて思っていなかった。

ネットの記事の中に出てきた場所にたくさん行けた。

会えるかなぁと思っていた人たちに会えた。

行き場所も直前まで知らされず、憧れていた人の背中を追っかけていた。

その現実に最初は戸惑ったし困惑していた。でも楽しかった。

こんなに楽しくていいのだろうかと思った。

たくさんいろんな職種の人に会った、話をした。

自分のことをあんなにたくさん話したのは久しぶりな気がした。

私を1人の大学生の女の子と見てもらえたことが嬉しかった。

品定めをされている感覚も、気を張ってなければならない、

意識高くなければ、模範解答しなければ、と思う必要もなかった。

いつからこんなに苦しくなっていたのかわからないけれど、

どうしても山形に帰りたくなくて、尼崎は居心地が良くて、

そう思ってしまっている自分にひどく驚いて戸惑った。

「辛い」「しんどい」って言ってはいけないと思っていた。

そう口に出すことはとても怖くて、そう思っていることも驚いた。

考えがだんだんとまとまらなくなってきて、

「自分は何をしたいんだろう」

「私にとってコミュニティデザインってなんだろう」

たくさんたくさん考えが溢れてきて苦しくて、

そして尼崎から出なければならないと思ったら、

この人たちとバイバイしなきゃいけないと思ったら寂しくて仕方がなくなった。

「山形に帰りたくないんです。」

言ってしまった。

そう言っても誰も責めはしなかった。

「尼崎に住もう?」「もうこっちおいでよ。」

そう言ってくださった。

「山形に帰ります!」

何回も言わないと、帰るんだって自分に言い聞かせないと、

本当に帰りたくなくなってしまうから何回も言った。

言う度に悲しくて泣いたけど。

改札口まで送ってくださった。嬉しかった、しんどかった。

思わずそこでとうとう

「しんどいんです。」

ってぽろっと言ってしまった。

「そっか。大変だったんだね。」

その一言がすごく嬉しかった。

「またおいで。」って言ってくださった。

たくさんの言葉をもらった。

嬉しい言葉も、私のこれからにきっと活きる言葉も。

私の中での概念が変わる言葉にも。

まだ混乱と戸惑いはあるけれど。

 

またあの人たちに会いたくて、声を聞きたい。

話をしたい。

今はどうやったら11月にミーツに参加できるか、

どうやって行こうか、どうやって教授を説得しようかを考えている。

それがモチベーション。

こんなに尼崎を好きになると思っていなかった。

 

山形好きだ好きだ言っていた自分が、

山形以外に好きになる場所ができるなんて思っていなかった。

今回長期滞在をしていたのが尼崎だったからっていうのもきっとある。

だから今度はまた違うところに行こうと思う。

「おいで。」って言われた場所には行きたいなぁ。

今度はどこに行こうかな。そう思うと後期も頑張らなくちゃなと思える。

 

山形に帰ってきて、3週間が経とうしている。

この前大江の秋祭りに1年生1人で参加して、

1人先輩に囲まれて活動したりするのもなんだかもう慣れた。

やっぱり私はDISC理論でいうと黄色になりたかった青よりの緑なんだと思う。

それでも赤になることはやめたくないな。

後期の抽選がうまくいって24履修できそう。

サマキャンあんなに頑張ったのに、

上限で履修できないのはちょっとだけがっかりだけどしょうがない。

たくさん行きたい場所ができたからお金貯めなきゃいけないと思って、

バイトも始めることにした。火曜日面接。うまく行きますように。

この前同期と一緒にご飯を食べたとき、

なんだかこの夏で考えも顔つきもまた変わったねって言ってもらった。

きっと当たってる。

 

10代最後の夏休みおーわり。